2009年 06月 01日
緊張の1列目 |
■変な天気だったなぁ。仕事に出掛ける時には晴れていた。最初の客先で作業をしている間に雨が降り出した。その仕事が終わった時には雨が上がって、次の客先に移動している間に晴れ間が出た。2件目で作業をしていると、雷が鳴って激しい雨降りに。しかし、その作業が終わる頃には雨が上がり、帰宅した時には晴れていた。なんじゃそれ!?
■昨日はウィンナホルン会の例会。この春、ローマ赴任から帰国されたN氏が復帰され、久々に心地良い緊張感(^^;の中での練習に。N氏と一緒に音出しするのは2004年以来だから、かれこれ5年ぶり。随分と久しぶりだったのだけど、でも、実際一緒に吹いてみると、そういうブランクは感じなかったりもして。いずれにしても、改めて陣容が整ってきたところでもあるので、活動のより一層の充実を図って行かないと。
■演奏会にしてもなんにしても、自分で座席を選択できる時には、絶対に最前列は取らない。いや、だって、なんか"生々しい"じゃないですか。あと、オケの演奏会だとね、見上げて聴くようになっちゃうし、全体像を「見る」こともできないし。自分が管楽器なせいか、やっぱり「見たい」という欲求が強い。だから、最前列はもちろんのこと、1階席も選択しない。オペラも同じ。基本は「見下ろし」。
■そういう音楽関係以外であれば、最前列というのも「あり」ではあるのだが...。実は来週半ばに行われるあるイベントのチケットを取ったのだけど、それが1列目だったんですわ。毎回即日完売になるというから、発売日の売り出し開始時間と同時にネットにアクセスして、でも、結果的にはすぐにつながってあっさりゲットできちゃったりして。で、そのチケットが今日送られてきて、見たら1列目だったと。ど真ん中、ではなかったけれど、かなり中央に近い。チケット見た途端にね、一気に緊張。やった!なんて思わなかった。シマッタ!って声に出したもの(苦笑)。なんのイベントなのかは追って、だけど、なんかね、1列目ってのは緊張を強いられるポジションだと思ってしまう、そんな催事なんですわ。あぁ、どうしよう。当日誰かに替わってもらおうかな...(^^;
■音楽関係は1列目なし、と書いたけど、これまで何度か「1列目」を体験してはいる。もちろん、自力で取ったチケットではなく、結果的に1列目になった、ということなのだけど。中でも一番強烈というか忘れることができないのが、1990年元日のプラハ国民劇場。友人・知人たちとツアーを組んで年末年始の「音楽旅行」に出掛け、大晦日にプラハ入り。そこから数日を彼の地で過ごしたのだけど、その際にプラハ国民劇場に出向き、スメタナの「リブシェ」というオペラを観た。これが1列目だった。さて、ここで問題。なぜこれが「強烈」な体験だったのか? 答えのヒント(?)はプラハを訪ねた時期にある。1989年末から翌年正月。1989年と言えば? そうです、ベルリンの壁崩壊の年であります。プラハでは所謂「ビロード革命」が進行しており、折しも、我々が訪れる直前に「民主化」を示す象徴的な出来事、大統領選挙が行われていたのですな。で、ハヴェルさんという方が大統領に選出され、そりゃもう大変な熱狂の中にあった。そんなタイミングで訪れたプラハで、その元日にオペラを観に行ったわけです。
■当初の予定は、確か「魔笛」だったはず。その前提で、ツアーリーダーが一行分のチケットを押さえてくれた。それが1列目だった。が、上記したような経緯から演目が変更。スメタナの「リブシェ」という、チェコの伝説の女性を主人公にした、民族主義の象徴的な作品が上演されることになったわけ。ハヴェル大統領夫妻、臨席です。テレビ生中継入ってます。そんな記念碑的な日の上演の、その最前列がニッポン旅行団。プラハ移動前のウィーンでのオペラ観劇はほとんど立ち見という一行ゆえ、所謂「正装」など持ってない。なんとかジャケット羽織ってネクタイ締めて、くらいがせいぜい。そんな一行が最前列に陣取ったものだから、いや、あれは浮いてましたわ(苦笑)。と同時に、こっちも居心地悪いったら...(笑)。そうと知っていればそれなりの準備もして臨めたのだったけど、上記したような経緯だったから、如何ともし難かった。とまぁそんな次第だったので、この「1列目」はね、強烈な印象を残しました。と同時に、「歴史的な瞬間」の一端に立ち会えたことを、個人的にはものすごく嬉しく、というか誇りにも思っている次第。大晦日のプラハの熱狂と喧噪はすごかったですから、ほんとに。当日ご一緒した方が、少なくても3人はこれを読んでくださってるはずですが、ね?ほんとにすごかったですよね?あの日のプラハは。そして、あの「1列目」は(^^;
■昨日はウィンナホルン会の例会。この春、ローマ赴任から帰国されたN氏が復帰され、久々に心地良い緊張感(^^;の中での練習に。N氏と一緒に音出しするのは2004年以来だから、かれこれ5年ぶり。随分と久しぶりだったのだけど、でも、実際一緒に吹いてみると、そういうブランクは感じなかったりもして。いずれにしても、改めて陣容が整ってきたところでもあるので、活動のより一層の充実を図って行かないと。
■演奏会にしてもなんにしても、自分で座席を選択できる時には、絶対に最前列は取らない。いや、だって、なんか"生々しい"じゃないですか。あと、オケの演奏会だとね、見上げて聴くようになっちゃうし、全体像を「見る」こともできないし。自分が管楽器なせいか、やっぱり「見たい」という欲求が強い。だから、最前列はもちろんのこと、1階席も選択しない。オペラも同じ。基本は「見下ろし」。
■そういう音楽関係以外であれば、最前列というのも「あり」ではあるのだが...。実は来週半ばに行われるあるイベントのチケットを取ったのだけど、それが1列目だったんですわ。毎回即日完売になるというから、発売日の売り出し開始時間と同時にネットにアクセスして、でも、結果的にはすぐにつながってあっさりゲットできちゃったりして。で、そのチケットが今日送られてきて、見たら1列目だったと。ど真ん中、ではなかったけれど、かなり中央に近い。チケット見た途端にね、一気に緊張。やった!なんて思わなかった。シマッタ!って声に出したもの(苦笑)。なんのイベントなのかは追って、だけど、なんかね、1列目ってのは緊張を強いられるポジションだと思ってしまう、そんな催事なんですわ。あぁ、どうしよう。当日誰かに替わってもらおうかな...(^^;
■音楽関係は1列目なし、と書いたけど、これまで何度か「1列目」を体験してはいる。もちろん、自力で取ったチケットではなく、結果的に1列目になった、ということなのだけど。中でも一番強烈というか忘れることができないのが、1990年元日のプラハ国民劇場。友人・知人たちとツアーを組んで年末年始の「音楽旅行」に出掛け、大晦日にプラハ入り。そこから数日を彼の地で過ごしたのだけど、その際にプラハ国民劇場に出向き、スメタナの「リブシェ」というオペラを観た。これが1列目だった。さて、ここで問題。なぜこれが「強烈」な体験だったのか? 答えのヒント(?)はプラハを訪ねた時期にある。1989年末から翌年正月。1989年と言えば? そうです、ベルリンの壁崩壊の年であります。プラハでは所謂「ビロード革命」が進行しており、折しも、我々が訪れる直前に「民主化」を示す象徴的な出来事、大統領選挙が行われていたのですな。で、ハヴェルさんという方が大統領に選出され、そりゃもう大変な熱狂の中にあった。そんなタイミングで訪れたプラハで、その元日にオペラを観に行ったわけです。
■当初の予定は、確か「魔笛」だったはず。その前提で、ツアーリーダーが一行分のチケットを押さえてくれた。それが1列目だった。が、上記したような経緯から演目が変更。スメタナの「リブシェ」という、チェコの伝説の女性を主人公にした、民族主義の象徴的な作品が上演されることになったわけ。ハヴェル大統領夫妻、臨席です。テレビ生中継入ってます。そんな記念碑的な日の上演の、その最前列がニッポン旅行団。プラハ移動前のウィーンでのオペラ観劇はほとんど立ち見という一行ゆえ、所謂「正装」など持ってない。なんとかジャケット羽織ってネクタイ締めて、くらいがせいぜい。そんな一行が最前列に陣取ったものだから、いや、あれは浮いてましたわ(苦笑)。と同時に、こっちも居心地悪いったら...(笑)。そうと知っていればそれなりの準備もして臨めたのだったけど、上記したような経緯だったから、如何ともし難かった。とまぁそんな次第だったので、この「1列目」はね、強烈な印象を残しました。と同時に、「歴史的な瞬間」の一端に立ち会えたことを、個人的にはものすごく嬉しく、というか誇りにも思っている次第。大晦日のプラハの熱狂と喧噪はすごかったですから、ほんとに。当日ご一緒した方が、少なくても3人はこれを読んでくださってるはずですが、ね?ほんとにすごかったですよね?あの日のプラハは。そして、あの「1列目」は(^^;
by wph1842
| 2009-06-01 22:16
| 音楽関係